テロなのか、戦争なのか。

昨日がアメリカにとって屈辱的な10周年だったことで、
facebookを見ていても、アメリカの友人たちの取り上げる内容は
10年前の9.11関連が多かった。

ただ、私は若干これについては彼らと温度差がある。
誰かが誰かを殺したいほど憎むことは誰でも時々はあるだろう。
アメリカにいる人をイスラムの人が殺した、沢山殺したということに
アメリカの人たちは憤ってイスラム社会への憎しみを深めた。

しかし、そもそも、第二次世界大戦後、9.11事件が起きるまでに
アメリカの支援を背景にしてイスラエルに殺されたり略奪された
パレスチナの人々がどれくらいいたかを考えると、
パレスチナの人々がアメリカを憎む気持ちも当然と言えば当然。

ただね、どちらかがどちらかを殺したり略奪したりしていいはずはない。

問題の発端は、そもそもパレスチナの人々が現住していたパレスチナに
「一つの宗教一つの民族のためだけの新国家」を建国したことだ。

「元々の民族・宗教と、他の宗教宗派が対等に人権を尊重される国家」だったら
それを潰そうとすることへの抑止は大義名分は立ったであろう。

だけど、

イスラエルという国は「ユダヤ民族・ユダヤ教のためだけの国家」

である。そういう国を私は人権国家とは呼びたくない。
その国が未だに帝国主義時代の軍事優先の殺人略奪を続けていることに
私自身は憤慨している。軍事超大国のアメリカがイスラエルをエコ贔屓して
イスラエルの傍若無人の悪行三昧を黙認し続け軍事支援してきた以上、
かの地で殺害され略奪を受けてきたイスラム教の人たちにとっては、
永遠に続く対イスラエル戦争の一つが10年前の9.11だったと思う。

アメリカは自分たちが他人を足で踏みつけた意識に乏しい。
しかし、足を踏まれた側は、痛みをはっきり味わっている。
あの事件をはるかに超えるパレスチナの人々が殺され
略奪されている以上、あれを単純に「テロ」と片付けたくない。

テロも戦争も肯定しないことが人権社会を世界にもたらす真っ当な道である。
ただ、現実に、自らの生存権を守るために、
各国では政権から抑圧された側が武装蜂起して
力で抑圧政権を打倒して自由を手に入れてきた。
唯一それをしなかったのはマハトマ・ガンジー率いるインド独立だけであろう。
そのインドでさえ、国軍を保有してパキスタンや中国と戦争をしている。

アメリカの人たちのショックは相当に大きかっただろうが、
この10年前の出来事は、正義とテロとの闘いではなく、
アメリカの不正義とイスラム社会のレジスタンス、戦争とも思えるのだ。

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