いじめの「無い」社会といじめの「無くせる」社会・・・「無」の物理学&哲学

物理学の「無」、哲学の「無」」について
ふと、「いじめ」がテーマとなったNHKドラマの
最終回だけ目にする機会があった。
去年の10月から続いているドラマ全体は見ていないが、
ふと、この最終回だけを見て、1月に書いた「無」という
大命題に繋がるものをふとイメージした。

「いじめを許すな」とか、「いじめを根絶」とか、
確かに数多のいじめを受けて来た私だって願わないでもない。

しかし、

「いじめが根絶された社会は健康か?」

と問われたら、

「それもまた不健康な社会だな。」

と私は思うのだった。

少なくとも子供時代や青春時代や大人になってからも
何時までもいじめは残るのだろう。
ただ、それを深刻化する前に食い止める知識と経験は
結局のところ、それまでの人生で受けたり与えてしまった
数々のいじめの中から人間ひとりひとりが学んで
伝えていくものである。

つまり、

「いじめを無くすヒントはいじめの経験の中にある。」

というパラドックスに至ってしまうのである。

以前にも弾圧された掲示板かここのブログで書いたこともあるが、
体に抵抗力が失われた特殊な病状の患者を除き、
ほとんどすべての生命は他の病原体との交わりを通じて
抵抗力を身につけていくものであって、
どうしても抵抗力をつけるには病原体を必要とするのである。

つまり、「全くの無」を求めても、
必ず「完全には無にならない」のである。


少々政治がかった話にもあるが、
「軍隊の無い社会」を最優先に掲げる政党がある。
かつてそれを支持したイデオロギーで
日本を騒乱状態にした安保闘争など、いろいろとあったから、
今もその時代の標語を頑なに守るひとたちは確かに純粋なのだろう。

しかし私は「軍隊の無い社会」はあくまでも「理想」であって
現実的には「軍隊の無くせる社会」を追求するのが
現実的であり望ましいと思う。

「いじめの無い社会」はあくまでも「理想」。
「いじめの無くせる社会」こそ追求されるべき。

「病原体の無い社会」はあくまでも「理想」。
「病原体の無くせる社会」こそ追求されるべき。

「児童ポルノの無い社会」はあくまでも「理想」。
「児童ポルノの無くせる社会」こそ追求されるべき。

ということで、他にも色々あるが、
「非実在未成年」なる馬鹿馬鹿しい条例がらみの
テーマにも言及してみる。

私は確かに未成年の裸体を撮影した映像を所持しているが、
あくまでも私の描いている「健全な社会」とは、
人々が当たり前に裸を寛容する穏やかな社会であって、
児童を含むすべての人たちが裸の肉体の尊厳を持つことで、
結局のところその社会から「児童ポルノ」が無くせるはずと信じている。

だから、あくまでも今、アグネス・チャン氏やその所属団体である
「日本ユニセフ協会」なる特殊な団体たちの掲げる
狂信的な「アンチ裸体主義。児童ポルノ根絶。」には賛同出来ない。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック