あれから20年

ふと忘れていた。朝、事務所のラジオにスイッチを入れて
流れてきたニュースで、今日が昭和の命日だったことを思い出した。

20年前の今日、朝6時半頃に夢の中で
「昭和が終わった」というお告げのような声が流れて目が覚めた。
冬休みの学生寮は人も少なく早朝で誰も起きていないくらい
静かな中であった。しかし私は胸騒ぎしていた。
当時、誰かの死を夢の中で見ると
必ず関係者の突然の死が現実に起きていた。

夢を見た瞬間に「ハッ」と目覚めてすぐテレビニュースをつけたが
まだ通常放送が続いていて何も動きはなかったが、
10分か20分のうちに「重大発表がある」という知らせが
流れ始め、やがて緊急発表として陛下の崩御が伝えられた。
崩御された時刻は今もすぐに思い出す。朝6時33分。
私が夢で言葉を聞いた時刻にぴったり当てはまる。

あれから20年、既に病で倒れる友の知らせや、
現役を引退していく同じ学年のスポーツ選手も多くなった。
私自身も、思いがけないような簡単な感染ウィルスでの
炎症が体のところどころで発生するようになり、
しかもなかなか完治せずつける薬も飲む薬も増えていく。
40歳を超えるとはこういうことなのかと感ずる。

ただ、肉体は衰えても、身に付いた経験・体験の積み重ねは
大木の樹皮のように自らを包み、ちょっとやそっとの怪我も
彫刻として着飾るエネルギーへと変化できるようになった。
罵詈雑言で私に不愉快を与えようとする人たちが
かわいそうなくらいの哀れさで見られるようになった。

私の所属労組の人たちに反天皇制を主張されるひともいるが、
政治的に自由な労組であるから、私のように親天皇制の人間もいる。
私にとって昭和天皇は立憲議会を破壊しようとする軍事勢力から
守るために孤独な戦いをした誠実なお人柄の科学者だったと尊敬している。
2.26事件にあたって、反乱軍を自らの部隊で鎮圧しようとしてまで
議会制を愛していた昭和天皇。A級戦犯を合祀してから
靖国への参拝を拒絶した昭和天皇。彼は自らの逃れられない
運命のなかで、精一杯体制内部での改革を志された。
だから、崩御数ヶ月前、重篤だった昭和天皇の健康を私は願い、
弘前市役所で記帳している。記帳が保存されているのなら、
必ずその中に、結婚前の姓での私の名前が刻まれているはずである。

あれから20年。しみじみと感慨深い心境で今夜も眠りたいと思う。
さようなら、昭和・・・明日からまた新しい日本が始まることを祈る・・・

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