毒ギョーザ事件は中国だから問題?

麻生太郎氏の発言も問題視されているようである。
テレビ映像を見る限り、今回のことで国産品に中国製より品質が良いという
付加価値がつくからチャンスと言いたいようにとれる発言であった。

私はそう思わない。伝えられている事実からして、中国製かどうかではなく、
どの国のものであれ、それを生産するところから消費するところに至る
全ての段階のどこかで、仮に強い悪意を持つ人物が一人いただけで
今回の事件は発生する。

日本でも劣悪な待遇を受けて生産工程や輸送工程で働かされている
労働者は沢山いる。国際競争の荒波の下、コスト削減のために
「これは奴隷労働では!」と言いたいような労働基準法違反が
多数伝えられており、刑事民事で争いに発展しているものもある。
仮にその中の誰かが食品に毒を盛り込んだり、布団に針を入れたり、
そういう腹いせをしたら、今度は中国製かどうかが問題ではなく、
日本製でもおきることである。

実際、先日の記事に書いた大手電機メーカーの製造ミス見逃しの件。
私は具体的企業名も聞いているが、あえて伏せる。
そのメーカーだけがそういうことをしているのではなく、
人間を人間として扱わないこの日本という国の労働政策と、
企業論理に偏重した保守主義的勢力と、
反資本の論理に偏重した左翼勢力と、
憲法の一言一句を文字面だけ守りたいと固執するエセ護憲勢力と、
それらの言わば自分だけがええ格好しいの面子大事な身勝手さで
一番大事なはずの「安全」が置き去りにされているのである。
まるでこれでは漁夫の利である。

今、ロストジェネレーション世代の不安定雇用労働者が、
やがて年齢の問題で労働力にならなくなって
貯蓄も家族もないまま無職高齢のホームレスとして
大量に社会に出るようになってきたときの日本が末恐ろしい。
やがて犯罪のはびこる危険な社会になるのではないか?
外もおちおち安心して歩けない社会はすぐそこに来ている。

そう危惧しながら、どこかの国の元首相の唱えた
「美しい国」の論理の空虚さを思う次第である。
強制された愛国心では本当の意味で国を愛せない。
愛する気持ちが先にたってこそ、「くに」を愛せるのである。
「家族だから互いを愛し合いなさい」と、
離婚同然の嫌悪感丸出しの夫婦や
あるいは家庭内別居、家庭内暴力のすさまじい家族に
愛を強制しているようなものである。

「強制」とか「厳罰」とか、そういう強制力に頼る気持ちが
今のイラクの泥沼を招いていることと共通していませんか?
互いを憎しみ合う根本原因を解決すること無しに、
力でねじ伏せて一時的に解決しても、
やがて封じ込められた鬱憤は大爆発して
いっそう根深い社会混乱を引き起こします。

「日本製だから安心だ」なんていう安易な愛国心で
この国の潜在的な危険要因を見逃したくない。
「中国製だから危険だ」という安易な攘夷論で
世界の草の根の平和活動を危険にさらしたくない。

かつては「民族独立」の理想の下、沢山の国が独立した。
しかしその結果、その新興国の国内で少数派になった民族が
多数派の民族主義から虐げられ、虐殺や内戦が続いている。
民族主義者に逆らう同族の人たちが「利敵勢力」として
つまはじきにされている様子は、まさに戦前戦中の
日本での「非国民」というレッテルと同質である。

人間が個々に一人の人権を守る社会。
資本主義一辺倒でも、共産主義一辺倒でも、
民族主義一辺倒でも、改憲論でも護憲論でも、
たった一つのものさしだけで善と悪を計ろうとするかぎり、
いつまでも実現しないものである。

もちろん、私の共鳴する「Naturism」だって、
これに全員が賛同したって殺し合いは無くならない。
だから、私も「Naturism」至上主義ではない。
ただ、「Naturist」をつまはじきにする社会、
ヌーディストを破廉恥扱いする社会のままでは、
必ずあの戦前の暗い思想弾圧社会が再来する。
だから私は今の自分の裁判に真剣に取り組んでいるのである。
単に裸で寛ぎたいという自分勝手な主義主張のつもりはないのである。

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