受験競争

競争の無い社会には悪平等がはびこり、社会の発展が滞ることがある。
無制限の競争社会では、自分が生き延びるために
他人より上に立とうする自己中心主義がはびこる。

どちらにも「愛」がない。

塾に通い、予備校に通い、他人よりいい成績を取る人間だけが勝ち組になる。
劣悪な労働環境で安月給で働かせて、経営のトップだけが巨万の金を蓄積する。
それでいいのか・・・

学校や塾、予備校で、クラスメイト同士で互いに弱い分野があれば助け合う。
そういう助け合いの心を育ててこそ、社会全体の基礎学力が向上する。
その上で国家だけでなく、国際社会全体で人類の英知が共有され、
エセ科学や巧妙な詐欺を見抜く力を多くの人間が持つことになれば、
だまされて不幸な被害者になる人たちが減ることになる。
そういう「大局的観点での助け合い」があってこそ、社会に「愛」が育つのではないか。

どこかの首相をやっていた人物が目指していた「美しい国」。
しかし、その人やそれを支えていた人たちがしてきたことは、
他人を蹴落として自分が這い上がることを美学にする社会。
教科としての「道徳」の点数を競わせる社会。
それのどこに「愛」があるのだろう。
「愛国心」というものは、その社会に愛が満ち溢れてこそ実現するのであって、
「愛国心の得点競争」の強化によって導かれるものではない。

周りの人を蹴落として一部だけの秀才が育てば国の将来は栄えるのか?
私はそう思わない。

お互いに助け合おうよ・・・。

一流大学に入って一流企業に入社することだけが美徳とされた時代が
まだ大きな影となっている。

自分の周囲の人々を助け合う心を持ちながら競争する社会。
それは、自分の隣の机のクラスメイトと勉強を助け合う心があってこそ実現するのだから、
今の大人たちは、自分の老後の蓄えを増やすことだけに熱を入れず、
自ら社会活動をしたり、教育に携わる分野に投資したり、
身近の議員に働きかけたりして、もっと充実した教育を子供たちに提供しようよ。

私は常々そういうことを考えながら仕事も社会活動もしています。
沢山の悪事をした前歴を持っている私がすべきことは、
「前科者」として黙っておとなしく暮らすことではなく、
言うべきことを言って、自ら善悪の判断を出来る力をつけて、
そういう荒んだ道に走りそうな子供たちを救うことだと思います。
自分が裁判で戦うことは、それは解決金を手にして金持ちになることが目的ではなく、
次の世代が愛を大切に出来る社会を残してあげることが目的です。

「権利を使うこと」がどこかしら「私欲を満たすため」とみられがちな今の日本で、
「他人の権利を守るために自分の権利を使う」というボランティアを育てたいのです。
みなさんもそう思いませんか?

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