個人の尊厳と中国の平和

北朝鮮の核問題などで中国の役割が重要な時期にあって、
中国の反発を受けるようなトピックは言い出しにくい国際環境だが、
やはりこういうニュースに出逢うと心が痛む。
「中国の国境警備兵が無抵抗の亡命者を背後から銃殺」
ネット上で見た産経新聞の記事で見て、その証拠ビデオも見ました。
「国家」というものと「民族」というものが必ずしも歴史の始まりから
固定化されてきていないことは明らかであると思うが、
どこかを失うことが国家としての面目から外れることに
どこの国も極めて神経質になっている。日本にしても、
古に遡れば、大和と蝦夷・熊襲との勢力争いがあったのであって、
そもそも「日本固有」とは何時の時点のことを言えるのかとなると
征服した側、された側と、周辺民族の利権問題など、複雑にからみあう。
中華人民共和国としての「固有の領土」というのはどこにあるのか。
なぜに共産主義の理想を実現する国家の範囲の前提が
帝政国家「清」の領土を基礎としているのか、私は疑問に思う。
チベットという領域が清国の版図に入っていたことは疑いようが無いが、
かつて日本も含んだ諸外国から蹂躙された漢民族が受けた悲哀を
チベットに対して自ら行うことは自己矛盾ではないのか。

本来、共産主義はその発端として自由競争で抹殺される社会弱者を
救済するところにあったはずであったはずなのに、
なぜにこの人権意識の高まる国際社会にあって、
帝政時代の版図に起因する領土意識の下、支配に異議を唱える
他民族の命を虫けらのごとく奪うことを正当化するのだろう。

私が少年期を過ごした冷戦時代において、西側にあっても
東側にあっても、どちらでも権力に異議を唱える人間には
命を軽々しく奪うという形で弾圧が繰り返された。
だから、共産主義だからとか資本主義だからということで
一概にどちらが人権を大切にする社会だとは思えない。

ただ、迫害されたときに無言で服従していては先に進まない。
貧困を先に解決しないと人権そのものを実現できないことは分かるが、
自ら少数民族に銃口を向けて中華人民共和国に服従させることで、
何の社会正義を実現しようとしているのか私にはわからない。
少なくとも、丸腰で無抵抗の亡命者の背後から銃弾を浴びせて
命を奪うことに、中国の共産主義政権の正当性は感じられない。

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