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zoom RSS 中国vs日本・フィリピン他東南アジア諸国との国際紛争について思ったこと。 #集団的自衛権 #憲法

<<   作成日時 : 2014/06/01 10:59   >>

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私が子供の頃は、学校で『最後の授業』という小説を題材に戦争で領土が入れ替わり言葉も入れ替わるという世界があることを学んだ。そもそも「国」というシステムは武力政権が民を統治するところから始まり、エネルギーの争奪戦を勝ち抜いた者が正義となる。アルザスロレーヌ地方はどこの「固有領土」?

いつの時代から「固有領土」なる概念が生まれたか分からないが、国家の盛衰は世の常であり、それに伴って国境線は幾度も変遷を遂げてきた。英語で言うところのChinaの地域も何度も王朝が入れ替わり、地域名として長い期間「支那」と呼ぶことは特段侮蔑的意味合いで始まったものではない。

そもそもこの「支那」の地域名称が侮蔑的として敬遠されるきっかけは、清王朝が国家の近代化に遅れを取って西欧帝国主義の覇権争いの餌食となったことと、近代化に成功した日本がそれら西欧に一時期勝利して、日本人の心に「大和民族の優越」的感情が高まったせいである。

英語名Cinaと日本語名「支那」はそもそも同じルーツを持つ地域名を指した呼称であり、「中国」という国家名称が地域名を指すよう変わったのは「中華民国」成立後のことである。だから黄河文明以来の数千年の長い王朝の歴史でみればごく最近のことに過ぎない。

私は決して「中華民国」も「中華人民共和国」も侮蔑するつもりもないし、その地域を「中国」と呼ぶことを嫌うわけではないが、強調したいのは、「支那」と呼ばれた地域に勃興した数々の王朝たちはずっと「固有領土」の範囲に留まって国境線を固定し続けていたわけでは無いということである。

もしこの「支那」という地域を支配してきた王朝の最大領土が永遠にどこかの国家の「固有領土」と言うのなら、「支那(英語名China)」の固有領土にはポーランドさえ含まれると言わざるを得ない。もしそうなった場合、その「固有領土」は現在の「中国」のもの?それとも「モンゴル」のもの?

現在の「中国」と名乗る国家が主張する「固有領土」とはどんな歴史的正当性を持っているのか。支配層が何の民族かという点では、必ずしもたった一つの民族では無かった。元はモンゴル民族であったし、清国は満州民族であった。そして現在の「中国」は清王朝を倒して建国された「中華民国」が始まり。

このように、国家の盛衰が幾度も繰り返され、決して何らかの正統な継承儀式を経て政権が入れ替わったわけでない「中華民国」やその後継である「中華人民共和国」が、何故に周辺国との間で係争となっている特定地域を「固有領土」と言えるのか不思議でならない。

特に「中華人民共和国」は共産党が支配する国家である。共産主義は資本主義を否定するだけではなく、王朝支配や宗教支配を否定する「共産主義」の国家である。正統な手続を経ずに武力で建国したこの国が、対外的に自国の領土を主張する際に、過去の王朝支配の地図を用いるのは矛盾していないか?

決して「日本は一度も皇室が途絶えたことの無い歴史的手続的一貫性のある国家だ」と言うつもりはない。そんな国粋的大和民族優越思想に与するつもりはない。私が言いたいのは、過去の「支那」と呼ばれていた地域の王朝たちは朝貢外交によって周辺の地域政権を支配下に置いてきたという事実である。

だから、尖閣諸島(釣魚島)も西沙諸島も南沙諸島も、現在軍事的に覇権国としての中華人民共和国が固有領土として宣言しているとしても、それを支配する歴史的正当性があるわけではないということである。もちろん、日本やベトナム、フィリピンその他関係国にとってもそれは同じである。

フランスにとってのアルザスロレーヌ地方とドイツにとってのエルザスロートリンゲン地方が過去何度も地図を塗り替えてきた様に、東アジア・東南アジアの地図も未来永劫どちらかに固まる土地ではないということである。そして「民族自決権」という過去の歴史的流れが民族浄化紛争に繋がった悲劇がある。

かつて帝国主義の覇権争いの時代までは、戦争に勝利した側の支配層たる民族が他の民族を支配下に置き、その文化や経済の個性を奪い続けてきたから、民族単位で国家を樹立して支配/被支配の上下関係を解消する潮流は人道的側面があった。そして数多の国家が独立し国際社会も平和をもたらす理想とした。

しかし、どんなに国家を細かく砕いても必ず異民族たちの混在は残るのであり、それが元になって紛争・民族浄化・虐殺という悪夢が繰り返されているのが今日の国際社会である。もはや「民族自決権」は紛争の火種でしかなくなっている。我々人類は一人一人の多様性を尊重する社会を造らなければならない。

個人が一人一人かけがえのない命と思想を持っていることが尊重される国際社会が実現したら、我々は「どの国家に所属すべきか」の選択を強いられる必要が無くなる。国境線が個性を踏みつぶす時代を早期に終わらせなければならない。どの国家を選んでも人権が守られる社会なら殺し殺される悪夢は消える。

そういう点で見ると、日本も中国もその他国際社会のどの国もまだ発展途上国同士である。私は、国境線を争わない、他民族や異教徒を敵視しない、個人一人一人の個性を尊重する社会を理想とし、それは普段から私が実践しているライフスタイル「ナチュリズム」の理想・理念と繋がるのだと主張したい。

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